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『復刻三平皿』

〜 佐賀県有田町李荘窯 企画監修・志田陶磁器 〜

BIRDY.(mixing tin)

三平皿再現・・・明治・大正・昭和に使用していた型を復元。有田焼。一点一点手書き(錦絵・染付)。価格は、税抜き3,000円〜15,000円。

※在庫確認はスタッフまで。品切れの際は、納期を頂いて別注可能です。

「三平皿」とは?

全国的には「膾皿(なますざら)」や「預け皿」と呼ばれる直径5~6寸の浅鉢(深皿)で、上から見ると花の形(輪花)で足(高台)が高いのが特徴です。

江戸時代に現在の佐賀県有田町周辺で作られ、伊万里港から北前船で津軽•渡島地方に運ばれました。「三平皿」は北海道と青森県だけの呼び名です。

由来は、①『松前藩の「齊藤三平」が提供または考案したとされる「三平汁」にちょうどいい器なので「三平皿」と呼ぶようになった』。②『有田焼の開祖「李参平(金ヶ江三兵衛)」にあやかり「三平皿」と名付けられた』、の二説が有名です。

大正時代になると開拓も進み人口が増え、瀬戸焼や美濃焼で大量生産が始まりました。しかし昭和50年代になると急激な食生活の変化で売れなくなり、各地で次々と生産が中止されました。

それから数十年が経ち、『昔使っていた「三平皿」が懐かしい、もう一度使いたい』との声が多くなり、江戸時代に作られた「三平皿」を忠実に再現した「復刻三平皿」が平成21年に完成し発売されることになったのです。

三平皿

「有田焼」とは?

佐賀県西部で焼かれる磁器。1616年に「李参平」らによって泉山で磁器の原料である陶石が発見され、日本初の磁器が焼かれました。

江戸時代には伊万里港から全国に運ばれたため「伊万里焼」と呼ばれていましたが、1897(明治30)年の「有田駅」開業で次第に貨車輸送に切り替わり、「有田焼」と呼ばれるようになりました。

江戸時代から明治にかけては欧米に輸出され莫大な外貨を獲得し、明治維新・近代化の礎となりました。

「三平汁」とは?

三平皿

約250年前から食べられていたという説もある北海道と青森の郷土料理です。

電気が供給される前は、近海で豊富に獲れる「鮭・ニシン・タラ・ホッケ」などを保存するため「山漬け・塩漬け・ぬか漬け」にしていました。これを地元の「根菜」と煮込んだ鍋料理が「三平汁」です

海が荒れ漁ができない厳しい冬場でも、保存した魚と保存した「大根・人参・じゃがいも・玉ねぎ・ごぼう」など地元で手に入りやすい「根菜」で手軽に作れる料理でした。

材料費が安く栄養もあり、寒さで冷えた体を芯から温めてくれる、まさに北国の厳しい環境が生んだ「郷土料理」なのです。

三平皿

深掘り「三平汁・三平皿」

佐賀県(有田町・伊万里市・武雄市・嬉野市)

三平皿

俳優・高島忠夫さんのエッセイ集「高島忠夫の洋食劇場(1983年)」に『私の母方の曾祖父に「斉藤三平」という松前藩に奉公していたご先祖様がいます。‥「三平汁」の創案者といわれている』と紹介されています。

また文献では、文人・平秩東作が「東遊記(1784年)」に『サンヘイと云うは、塩蔵の魚と菜大根を煮たるものを云う』と記し、さらに博物学者・菅江真澄は「えみしのさへき(1789年)」に『ニシンの子のおかずに「さんへ」と云うものを作って‥サンペ汁、あるいはマクリ汁、カボシ汁と云って、様々の魚を使った汁‥』と記しています。

そのため「三平汁」のもとになったと思われる鍋料理「さんへ・サンペ汁・サンヘイ」は「斉藤三平」が生まれる前から存在していたと思われます。

三平皿」は有田焼の開祖「李参平」にあやかり名付けられたとも言われますが、有田では昔も今も「三平皿」と呼ぶことはありません。そのため北海道や津軽地方で「三平汁」に使いやすい器が次第に「三平皿」と呼ばれるようになったのだと思われます。

※志田陶磁器・小田正憲の推察です。

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